毎年のことですが、この国日本では卒業・入学シーズンに

日本の国歌「君が代」について色々と議論されています。


いろんな是非の言葉を聞きますが

私は今まで漠然と、日本の歌を歌うだけなのに

何故反対する人がいるんだろう


確かに、過去戦争時代に日本の国の犯してきたこと

他の国を悲しませ苦しめたこと

その結果、大きな代償を味あわされて終戦に至ったこと



「君が代」と「日の丸」がまだそのイメージから抜け切れていない

からだと思いました。


でも、ふと思ったんです。

日本の国の歌はそんなにいけない歌なんだろうか。。。。

インターネットで検索してみました。


「君が代の由来」と。。。。

すると、ビックリでした。


今まで、あまり良くないイメージだった歌は、素晴らしい歌だったんだと

恥ずかしながら、初めて知りました。

自分の国の歌なのに、私は何も知らなかったんだと

目からウロコ状態


「君が代」って世界に誇れる歌なのです!


  春日村は、「君が代発祥の地」としても知られています。

  その村に伝わる伝承によると、時は平安時代の初め。

  文徳(もんとく)天皇の第一皇子、惟喬親王(これたかしんのう)は

  第四皇子(後の清和天皇)に皇太子の座を先んじられ

  一時期、近江の小椋郷(永源寺町)に隠れ住みました。


  当初、天皇は親王を推すつもりでいたらしいのですが

  第四皇子の生母が摂政を務める藤原氏の出だったことから、これをはばかったと言われています。

  その非運の親王が後にお椀や鉢などを作る木地師(きじし)の祖神とされ

  小椋郷は彼らのふるさととして聖地のようになっていきました。

  さて、その親王に仕えていた木地師の一人が

  小椋郷の君ヶ畑から良材に恵まれた春日の地へやってきました。

  あるとき君ヶ畑に向かう途中、今ある公園付近の地でめずらしい石を目にし

  それを見たまま感じたまま歌に託しました



        わが君は 千代に八千代に さざれ石の

                  いわおとなりて 苔の生すまで




  やがてこの歌は、京の都で評判を呼び、勅撰和歌集の『古今集』に採録されるまでになりました。

  「私たちの世の中が、何年も何年もかかって小さな石が大きな岩となり
           またその岩に、苔が生えるほどの長い月日、幸せでありますように」


  後に、最初の「わが君は」が「君が代は」に変わり、民衆の間に歌い継がれていきました。


  男は身分が低かったため、『古今集』では「よみ人知らず」として扱われましたが、

  やがて名もないこの男がスッポトライトを浴びることになります。


  朝廷から歌のうまさを認められ、石にちなんで「藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)」

  の称号を賜ったのです。村の中央部に当たる小宮神(こみやかみ)地区には

  今も木地師の遺族や系図などが保存され

  その一族とみられる末裔(まつえい)九十余戸も残っているとのことです



  そして君が代は素晴らしい歌として一般民衆に広がり、

  鎌倉時代以降、「わが君は」より語感のすんだ「君が代」と変わり、

  長命を祈る歌、お祝いの歌さらには恋の歌として、

  千年以上日本人に親しまれてきた歌と、言うことなのです。


  しかし、侵略戦争時に国歌として歌われたのも、

  まぎれもない事実です。

  でも、それ以前の歴史を見る限りでは、

  侵略や戦争を全く感じさせるだけのものではないと感じます。

  またこのように1200年以上日本人に

  親しまれてきた歌を否定する必要もないと思います。

  確かに戦争時の事は反省すべき点は多いと思いますが、

  大切なのは今であり、君が代を平和の歌として、歌ってみてはどうでしょう?

  軍隊や核を持たない日本の誇るべきものとして・・・


いかがでしょうか。君が代のイメージが変わったのではないでしょうか?

私は歌は悪くないと思います。

それらを受け答える人の気持ち次第なのではないでしょうか。

過去にいけないことをした事柄から逃げてもいけないし

忘れてもいけないし、二度と繰り返さないためにも

この「君が代」は日本の国歌にふさわしい

世界に誇れる歌だと思います。